培ってきた技術力で、
やりがいのある仕事を生み出す。
知識を蓄積できる仕事を求め、
ソフトウエア・システム開発業界へ。

取締役・ユーザーアプリケーション事業部 事業部長
石森 譲
宮城県仙台市出身。宮城教育大学卒業後、地元のソフトウエア会社に入社。2〜3年のサイクルで転職を繰り返しながらも、一貫して仙台市内で働きSEとしてのキャリアを積み上げる。株式会社PRO&BSC入社後、事業部長としてマネジメントの経験を積み、合併を経て現職。「常に全力」をモットーに、仕事では事業部長として、家庭では3児の父として忙しい日々を送りながら、常に新しい知識を追い求める勉強家としての一面も持つ。
— 宮城教育大学出身ということですが、先生を目指されていたんですか?
いえ、全然。教員免許を取らなくてもいい教育課程を選んでましたし。
— では、どうして宮教大へ?
「実家から通える国公立の四年制大学」という条件で大学を探していて、学力レベルが合うのが宮教大だったということですね。生まれ育った宮城県を離れたくないなと思い、自分で選択をした結果です。
— どんなことを勉強されていたんですか?
理系科目全般という感じですね。もぐら叩きのゲームをつくるプログラミングの講義もありました。
— それがきっかけでプログラミングに興味を持ったわけですね。
いや、それが全然プログラミングができなくて。VisualBasicの授業は途中で諦めて単位落としたくらいですから。
— え? でも新卒からずっとソフトウエアやシステム開発の仕事をされてきていますよね?
そうですね。でも、実はプログラムに特別興味があったということではないんです。私は昔から、物事を体系立てて勉強し、自分の中に知識を蓄積していくのが好きで、そういう仕事であれば業界が違ってもよかったんです。
— 他に候補になっていた職種や業界はありますか?
いえ、それがないんですよ。形のある物をつくるのが苦手なこともあって、この業界1本で就職活動をしましたね。
会社を渡り歩き、
自分を高めるために全力で働いた日々。
— 実際この業界に入ってみて、いかがでしたか?
常に仕事は楽しんでやってきました。体系立てて勉強した分だけ力を発揮できる仕事なので、自分にとってこんなに楽しいことはないんですよ。
— はじめに興味を持ったのは、DBのようですね。
はい。航空会社の貿易系のシステムでDBプログラムを担当したことがきっかけで、興味を持ちました。そこからOracleマスタに興味を持ち、資格取得に向けて勉強を始めました。

— この業界、なかなか勉強をする時間をつくるのが難しいと思いますが、どのようにして勉強したんでしょう?
きっちり定時で上がって勉強していました。「常に全力で」が私のモットーなので、就業時間中は集中してきっちり仕事を終わらせ、帰ってから勉強やスポーツに時間を使っていましたね。
— 2年6ヶ月勤務し、2社目に転職しています。どんな理由での転職だったんでしょう?
Oracleのビッグプロジェクトに携わりたかったというのが理由です。東京本社の会社だったんですが、ちょうどそのプロジェクトの拠点が仙台だったんですよね。Oracleマスタが150人以上いる中堅企業で、自分もスキルには自信があったんですが、「この人には敵わない」という方がたくさんいました。私が今まで仕事をしてきた中で、スキルレベルの高さで言えばピカイチのプロジェクトでしたね。
— こちらも1年6ヶ月で退社されています。
一流のスキルを持つ方々との仕事はとても刺激的だったんですが、大規模案件で全体が見えずらかったこと、残業があまりにも多くスキルアップの時間が確保できなかったことから、転職しました。
— 3社目も、大きな会社に入られてますね。
はい。東京本社で、当時業界6位の業績を上げている会社でした。仙台営業所で勤務し、SEとして長期案件の基本設計から結合試験まで一連の流れを初めて経験することができ、とても勉強になりました。
— こちらで2年間経験を積み、合併前のPRO&BSCに入社されました。きっかけは何だったんでしょう?
当時社長を務めていた中嶋(巖、現:株式会社ナナイロ 取締役会長)から声をかけてもらったことがきっかけでした。私が当時勤めていた会社は、東京本社の大きな会社ではありましたが、やはり仙台でできる仕事は限られていて、「もっとおもしろい仕事がやりたい」とくすぶっていた時期でした。
— 当時は社員数7名。大企業からの転職に不安はなかったですか?
特になかったですね。逆に、自分の頑張りが業績に直結する仕事にやりがいと期待を感じて転職しました。
— その後転職されることはなく、合併を経て現在に至ります。今までの仕事との違いはどの辺りにあるのでしょう?
1番の変化は、事業部長を任されるようになったことだと思います。それまでは、自分の仕事をきっちりやり、オフも自分の趣味や勉強のためだけに使っていましたが、考え方を変える必要がありました。
— それまでマネジメントの経験はあったんですか?
ほとんどありませんでした。トライアンドエラーを繰り返しながら自分としては全力でやっていたつもりでしたが、部下には迷惑をかけてしまい、今でも申し訳なかったと思っています。他社での経験がある方などからは「事業部長なんだから、これくらいやってくれないと困る」という圧力を感じ、結構辛かったですね。
仕事に家庭に、持てる力を
チームのために注ぐことのやりがい。
— 現在のお仕事について教えてください。
事業部のマネジメントをしながら、自分は営業・コンサルタントとしてお客さんのところに出かけていることが多いですね。いくつか仕事を掛け持ちしている中で、小規模で古い技術を使ったものは自分一人でこなしています。
— 常に勉強されてきたということですが、新しい技術に触れたいという欲求は出てきませんか?
そういう欲求は常にありますね。最近だと、スマホ開発の言語についてもSwift、Android、Cordova、Xamarin、すべて2〜3冊本を読んでいます。実際自分でプログラムを書くことはないんですが、知識としては持っておいて基本的な設計くらいはできるようにしています。

— やはり勉強は定時に上がって家でやられているんですか?
そうですね。ただ、今は結婚して子どもが3人いるので、家のこと、特に育児が優先ですね。子どもが熱出したり怪我したりっていうときの連絡も、私のところに来るようにしていて、来たらすぐに対応できるようにしていますし。
— 3人のお子さんの面倒を見ながら、どうやって勉強されているんですか?
時間はつくろうと思えばつくれますよ。おんぶしながらタブレットで資料読んだり、本読んだり、二宮金次郎かよって感じですが、できないことはないですね。
— ちなみに、奥さまも仕事をされているんですか?
妻は看護師をしています。土日も仕事のことが多いので、平日の朝晩同様、週末は子どもたちと一緒に過ごすことがほとんどです。
— 奥さまと過ごす時間、あまりなさそうですね。
毎日朝食と夕食は一緒ですし、自宅作業日が妻の休みだったりすると一緒にお昼食べに行ったり、結構時間は取れていますね。子どももまだ小さいので、時間が取られるのは当たり前ですし、お互い仕事が好きなのでバランスは取れていますよ。
— お仕事の話に戻ります。合併して何か変わったことはありますか?
お客さまの方から仕事の依頼が来ることが増えましたね。それまでは、営業で仕事を取ってくることが多かったんですが、お客さまの方からご連絡いただくことが多くなってきました。
— 最後に、今後の展望についてお話しください。
会社としては、引き続き挑戦者の姿勢で、できることすべてに全力で取り組んでいくこと。また、合併し事業部も増えたので、互いのノウハウをいかした事業も展開していけるといいなと思います。
私自身に関して言えば、部下の育成が課題ですね。どうしたら自律的に楽しく仕事に取り組んでもらえるか、私が頑張るんじゃなくて、自分で頑張ることが出来る人を増やす方法を模索しています。たくさんの人が「ナナイロで働きたい」と思えるような、満足度の高い仕事ができる会社をつくっていきたいですね。